鴻臚館は古代の外交施設で、平安京、難波(なにわ)、筑紫の三ヵ所に設置されたとされています。その名は古代中国で外国との交渉を司る「鴻臚寺」に由来し、「鴻」は大きい、「臚」は伝えるという意味があります。
筑紫の鴻臚館が初めて登場するのは、『日本書紀』の持統(じとう)2(688)年の記事で、当時は筑紫館(つくしのむろつみ/つくしのたち)と呼ばれていました。9世紀前半までは、唐や新羅(しらぎ/しるら)の使節を接待・宿泊させる迎賓館や、遣唐使や遣新羅使が旅支度を整える対外公館として機能していました。9世紀後半以降は、鴻臚館を訪れる主役は唐(後には五代・北宋)の商人となり、中国との貿易の舞台となりました。11世紀後半に貿易拠点が鴻臚館の東の砂丘にある博多に移るまで、古代日本最大の国際交流の拠点として機能しました。
鴻臚館の位置については永らく不明で、博多の呉服町(ごふくまち)とする説が有力でしたが、九州大学元医学部教授の中山平次郎(なかやまへいじろう)博士が『万葉集』、古絵図、地形、出土遺物等の検討から福崎(ふくさき)(福岡城内)説を提唱しました。その後、昭和62(1987)年12月、平和台球場改修工事に伴う発掘調査で、鴻臚館の関連遺構が発見されたことにより、中山博士の説が補強され、現在では福岡城内が定説となっています。
遺構も福岡市による調査が行われており、現在までに奈良時代以前(筑紫館)の塀と門、奈良時代(筑紫館)の塀と掘立柱建物、平安時代の大型礎石建物、土壙(どこう)(穴状の遺構)、溝などが見つかっています。また、多量の瓦類の他、中国越州窯青磁(えっしゅうようせいじ)をはじめ長沙窯磁器(ちょうさようじき)、荊窯白磁(けいようはくじ)、イスラム陶器、西アジアガラス器など国際色豊かな遺物が発掘されています。発掘された遺構や遺物は現在、福岡城内の展示館にて公開されています。発掘当時の様子をそのまま保存した展示は圧巻です。
【開館時間】9:00~17:00(入館は16:30まで)
【休館日】12月29日~1月3日
【入館料】無料
詳細は公式HPをご参照ください。
URL:https://fukuokajyo.com/kourokan/
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